切なさの地層 |
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ブログというのはなかなか難しい。公開日記のようなものと考えれば、その日の出来事を綴ればいいのだが、僕のなんの出来事もない平凡な日常を書いたとしても、それを読んでいただいたとして何の意味があるのかと、考え始めればキーボードの上で手が動かなくなる。しかし、その平凡な日常の中にもどうしようもないような切ない出来事や情けないことが結構あり、おそらくそのようなことは皆さんにも同様にあるのだろうから、これを綴れば共感していただけるだろうと思うことが、実はたくさんある。しかしながら、それを正直に書くことがどうしても出来ない。それはそこだけはどんなことがあっても曝け出してはいけないのだと、自分の中からの声がストップをかけるからだ。
今日は以前撮ったポートレートのネガが必要になり、ネガをおいてある倉庫に探しに行った。そのネガは思ったとおりの所にきちんと収まってしまわれていたから、すぐに取り出すことが出来た。それをしまいつつふと横を見ると、そのネガファイルのそばに見慣れない分厚いファイルを見つけた。
何だろうと開くと、僕がかなり前に撮り散らかしてそのままになっていた普段のスナップ写真のネガを助手の高沢君が丁寧に整理してファイリングしてくれていたのである。
僕はその整理されたベタ焼きを一枚ずつ丁寧に見た。
ベタ焼きに並ぶ小さな1カット1カット、そこには懐かしい記憶や空気感、会話などが焼き込まれていて、見ている端から怒濤のようにそれらの記憶が逆流してきたのである。
僕は写真を見てセンチメンタルになることが、あまり好きではない。
だけど、そのときばかりは、どうしても我慢することは出来なかった。生きているということは切なさを地層のように積み重ねることなのかもしれない。そしてその中に埋まった記憶はやがて化石となり、それはいつの日か僕の作品として写真に姿を変えてよみがえるのかもしれない。
今日も耳鳴りがひどい。
庭でのスナップ。ライカM9、絞り優先オート、f8。
切なさの地層



