M.HASUIPhotographer

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最も幸せなもの 21:33


リコーのコンパクトカメラGR1が出た翌年だったと思う。電通のアートディレクター野上さんからお電話いただいた。「電通の写真好きが中心になってGR1のサークル、東京ショット会というのを始めるのだけど、講師をしてくれないですか。」という内容だった。それから数年間、ぼくはそのサークルの講師をした。そして2007年、野上さんはADC賞を受賞して間もなく、病気で亡くなった。あまりにも突然の悲しい出来事だった。
昨日はその野上さんを偲んで二年半ぶりに東京ショット会が開かれた。メンバーは全員「野上さん」をテーマに撮った写真を持ち寄った。メンバーの一人ひとりが写真を見せながら、野上さんへの思いを語る。それぞれの写真はどれも彼の温かな人柄への愛情に満ちていた。
カメラは愛するものに向けられる。家族を愛すれば家族にカメラが向く。恋人にカメラが向く。美しい自然や光にカメラが向く。
カメラは人と人の間にあり、人と自然の間にあり、人と愛の間にある。そして写真はそこに生まれる。だからカメラという道具はこの世界で最も幸せな道具である。
野上さんを偲んで、ライカズミクロン50ミリ、F4。
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写真機力 16:21


たまに考える事に「カメラ力」というのがある。写真機力ということである。ぼくはスランプになるとカメラを変える。いつも使っているカメラをちょっと放り投げて、新しいフォーマットのカメラを探し、しばらくはそればかりで何も考えずに写真を撮る。すると今までしょんぼりしていた気持ちが少し元気になってゆく。そうしたらまたいつものライカやローライに戻るのである。そのためのカメラはデジタルでもコンパクトでも何でもいい。
写真はカメラで変わるというのは本当だ。そして写真機「カメラ」が強引に掴み撮ってくる何かがその人の写真に何らかの影響力をもつ。
最近の僕はすこし落ち着いている。ライカのM5とデジタルのM9(このブログの写真の半分はこれ)、このところは11X14の大判もちょくちょく登場する。今はこれが最も気持ちのいい機材なのである。「弘法筆を選ばず」というが、弘法太子のように悟りの境地になれれば別だが、僕はまだまだ筆を選ぶ。いや一生、筆であるカメラを選んでいるかもしれない。事務所の扉、ライカズミルクス50ミリ、F11。
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言葉 18:59


早朝から目黒のある場所でポートレートの撮影をした。朝起きると曇り。ちょっと心配しながら現場についた。11x14のカメラとローライをセットアップしていると撮影するG氏が来られた。挨拶を交わした後、カメラを覗くと雲が薄くなり優しい光が降りて来た。朝の水蒸気を含んだ湿った、少しヒンヤリした空気が光を一度濾過していた。そのために背景の森は柔らかなビロードのようにしっとりと見える。撮影は楽しく、また静かに流れて一時間ほどで終わった。心地よかった。光は重要。でも空気がどうあるかがもっと重要だ。乾いた空気は乾いた光を作る。柔らかい空気は柔らかな光を作る。僕は柔らかな光が好きだ。
ツイッターというものを始めて4日になる。友人にいろいろ教えていただいてだいぶ事情が判って来た。それにしても凄い数の人が凄いスピードで様々な事を伝えようと書き込んでいる。絶えず「今」をアップデートする新しいコミュニケーションのスタイルだから当然なのだが。それはそれとして、反面気にかかる事もある。それは言葉も光と同じだ。その環境にどんな空気が流れているかでその性格が変わると思う。ツイッターの環境には独特の空気を感じる。ストレートで乾いた空気の感じ。そこにある大量の言葉やつぶやきも同じ感覚に感じる。インターネットから文庫本まで、言葉のフィールドはどんどん広がる訳だが、この素晴らしき僕たちの財産を無駄に浪費しないように慎重にならなくてはならないと、ふと思った次第だ。朝の公園、ライカズミルクス50ミリ、F11。
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ツイッター 16:21


先日ある人から勧められて、ツイッターというのをはじめた。皆さんはとっくにご存知だと思うが、これは140字以内の文章を自分の登録ページにすぐにアップでき、それを不特定多数の人がすぐに閲覧したり、返信したりできるサービスである。鳩山総理がそれを始めてちょっと話題になったりもした。実際やって見ると凄い数の人が「つぶやき」という文章をアップしていて驚かされる。これも確かに新しいコミュニケーションのあり方なのだろう。早速僕にも数人の友人が出来てしまった。今までは考えられなかったような広範囲での人との出会い、ジャンルを超えた人とのつながりが持てる。
現代人はある意味寂しいのかもしれない。いや本音でさびしいのだろう。何でもネットや携帯で事すんでしまうから、表面はそれでよいという事になってしまう。でも実は皆、もっと深い関わりや生身のコミュニケーションを求めている気がする。
このツイッターもネット上の繋がりだが、その先のコミュニケーションをどうするかが問題だ。小さなつながりを、小さくても深いつながりに、長いつながりにしてゆければ世界は変えられる。小さな声や叫びがうまく重なって一つの共振運動になって、大きな波を作る事になれば、少なくともこの国の空気は変わってゆくのではないだろうか。そして大切なのはそうやって生まれて来た空気にモノ作りやコミュニケーションの実態を絡ませてゆく事だと思う。空気の中だけのコミュニケーションは何処までも蜃気楼と変わらない。
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データー写真 20:22


いつも使っていたMacBookのメモリーが足りなくて、ちょっと大きな画像を数枚開くとすぐに根を上げたので、それを理由に新しいMacBook proに買い替えた。数時間かけてデーターをコピーしながら、もしいまここで何らかのトラブルですべてのデーターが消えたら、、、と考えてちょっと青くなった。いま半分位の写真をデジタルで撮るのでデーターはネガと同じである。(もちろんバックアップは取ってあるものの)先日ある料理屋でのこと、隣で食べていたご夫婦と仲良くなり、話しは自然と写真のことになった。
「蓮井さんはプロだからデジタルですよね。」と。「いや意外とアナログなんですよ。写真はプリントにして初めて写真ですからね。」とぼく。と、彼がこう言った。「そんなことは無いですよ。だって何枚でも撮れてコンピューターでいつでも見られる。これが醍醐味ですよ。」なるほど、確かにそれはそれで醍醐味かもしれないと思った。
「そうですね。でもたまにはプリントしてみましょうよ。ちょっと写真もありがたいかものかもしれませんよ。」
その夜家に帰ったぼくと妻は、写真に正しい姿なんて今はないのかもと話した。僕のコンピューターに保存された200ギガの写真データーを今からネガに戻すことは出来ない。さていつまでこの写真たちをそのまま保管できるのだろうか。ちょっと憂鬱なコンピューターのお引っ越しであった。
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