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2017.12.15 Friday

もしも、の意味。

JUGEMテーマ:写真

 

今年の1月のこと。ある人から一つの質問をされた。

「もしも、なんの制約もなかったとしたら、蓮井さんは何をしますか?何をしたいですか?」

僕は、とっさの質問にちょっと言葉に詰まった。なんの制約もなかったら?

仕事、人間関係、家族、お金、時間、年齢、余命、国籍、性別、、、、、制約であろう思いつく単語を書き出してみたら、本当に限りなくある。考えてみれば人はそういう制約の中でしか存在できない生物かもしれない。うちの犬のガンタでさえ、人間社会で生きるには様々な制約をしいられている。朝晩の散歩や排便の制約、食事時間の制約、お留守番の制約。ちょっと極論になってしまったが、僕はその犬の生活を管理することをも含めて、たくさんの制約の中で自分の人生を自ら縛っている。

その時、僕がその質問にとっさに答えられなかったのは、普段考えてもみなかった質問だったからである。

ちょっとの間言葉に詰まったが、出てきた答えは確かこうだったように思う。

「バイクにカメラだけ積んで日本の隅から隅を旅して写真を撮りたい。」

大好きなバイクで写真旅!今でもやってみたいことの一つだ。だが、今改めてこの質問を考えてみると、その答えは違ったのだということに気づいている。バイクでの旅はそんな制約の中でもやろうと思えばすぐにできることだからだ。他にはないだろうか?料理の勉強がしたい、これも現に今まさにしていること。制約があっても工夫次第でやることができることだ。

ここで、もう一度少し簡単にして自分の心に聴いてみよう。

「もしも、生きるための生理的な制約を除いて、他の制約が一切なかったら僕は何をしたいのか?」

 

僕は最近特にこのことをよく考える。自分の人生は自分自身の選択の積み重ねによって作られてきたと信じてきた。その結果が写真という職業だ。しかし、その選択の中にある内訳には、必ずしも本心が求めている選択ではなかったことも多い。人に迷惑をかけないこと、経済的に成り立つこと、要するに社会に生きていることの中で成立する選択だ。だから、本当にこうしたいということは夢なのだという思い込みがあったのかもしれない。いや、むしろほとんどの人が、その本心を夢とかたずけて考えていると思う。だから、僕もそこを考えることはあまりしないようにしてきた。故にこの質問に対して、確信的な回答を口にすることができなかった。

この質問が意味する本当の真意は、決して夢を語ってくださいということではない。いや夢でもいいのだが、もっと本質的なこと。それは自分の心に聞こえる小さな声である。それにもっと誠実に耳を傾けたらどうなのかということだ。

先日、ある講演会で、アドラーの心理学の話を聴くことがあった。アドラーの言葉にも心の声を聴くということの重要性が書かれているそうだ。

人は何かの選択を迫られた時に、または創造をする時に、心の中で自問自答する。そこには本来の自分自身の欲求が必ず存在する。だが、ほとんどの場合、様々な制約の中でその欲求はフェードアウトしてしまう。そして、ある意味で妥協という領域に足を踏み入れるのではないだろうか。もしそうならばとても残念なことなのではないかと感じている。

 

「もしも、制約が全くなかったら、僕は何をしたいのか?どうしたいのか?」

 

僕の生業は写真である。

もともと写真を職業として選んだことの成り行きには「一切の制約」を当てはめなかった。今思えばその決断はいたってシンプルだ。ただただ写真が好きだ、人生は好きなことをするのが幸せだ。ならば写真で生計を立てられたら最も幸せだ。なぜなら一日中大好きな写真に関わっていられるから。他の何物もその気持ちを邪魔することはできなかった。

この時僕は30代前半だ。もちろん写真教育や美術教育は全く受けていないから、それなりに苦労はした。でも辛くはなかった。

そして頑張った甲斐あって、今もって写真で生きることができている。おそらく台本としては最も幸せなそれだと思う。

ならば、先の質問の答えはこうなる。

「もしも、何の制約もなかったら、、、この先も僕は今までと同じ生き方をしたい。」これは本心だ。

それでも、最近の僕は問い始めている。

「もしも、もっと制約がなかったら、写真家としてどうしたい?どうなりたい?」

 

制約って本当はなんだろう。僕はいつも自分ができないことややらないことに対して、制約という言葉を言い訳にしていなかっただろうか。きっと少しはあったと思う。そうやって自分の選択を正当化している。だけど、よく考えてみよう。自分を縛っている制約とは外的な環境や社会的なそれではなく、自分の中にある見栄だったり、欲だったり、怠惰だったり、自分を信じきれない気持ちだったりしないだろうか。

自分の本当の欲求からなった写真家という仕事に対して、もっと純粋にその気持ちを発展させるためにはどうすればいいのかを考えるとき、まずは自分の心の中にあるそれらの制約を無くして考えるということがとっても重要なんだと思う。その上で初めて10年後の自分の姿と生活を想像することが出来ると思う。

人にはそれぞれに環境や状況があり、生業があるが、その中で最大限に自分を生かすことは思いの外大変なこと。だけども、頑張っていかに自分を守り、または取り戻し、幸せな生き方に向かうのかは全て自分自身の選択にかかっている。そして、心の本当の声を聴き、その選択を誤らないためにはまず「心の中に自ら作った制約」を取り払うこと。

そしてそれができて、自分を自分以外の人のために生かすことができるのではないだろうか。それは本当に楽しいはずだ。

 

LEICA SL 50mm Imagine in the light 

 

 

 

 

 

 

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