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2017.08.17 Thursday

未来に繋がる記憶を得る。

 

未来の記憶。いつもそれを考える。未来にどんな記憶が残っているのだろう。ドラえもんでもいたならば聞いてみたいところだけど、おそらく彼ならこう聞き返すだろう。「君の未来の記憶かい?それとも世界の未来の記憶かい?」

しばしよく考えることに。

「やはりぼくの未来の記憶だね。」

人にとって未来というカテゴリーほど気持ちをワクワクさせるものはない。10年後の自分。何をしているのか、誰といるのか、果たして生きているのか?それがわかってしまったら身の蓋もないというやつだけど、もしも!知れるなら知ってみたいものである。

インドにはアガステアの葉というものがあり、それには世界中の人の運命が書かれているという。ほんとうなら一度は訪れて自分の葉を見てみたいものだ。

まあ、それはちょっと置いておいて、現実的に考えよう。

前回のブログで、写真は記録であって、それを記憶というものに置き換えるのは人だと書いた。

写真とは、撮られたその時から過去になる。ただそれはそこを過去として残すという撮影者の意思があってこそのことだ。

その意思は意外にも無意識のうちにある。未来の記憶とはそれを意思として確認して記憶するということだ。

それは、将来、すなわち未来においてその記憶が自分にどのような思考を与えるのかということを考えるのである。

ぼくは水の循環という課題を一つのライフテーマとして撮影に取り組んでいる。それは、その文脈の中で見えうる様々な自然現象を丁寧に撮影しつつ、未来という時間軸でその写真を記憶した時に、作品を見る人がある時間帯の延長にそのことを再び思考するという目的を持っている。要するに撮影された過去から未来の印象を読み取るということになる。まさしくそこに、写真として表現することの目的があるのだと自覚している。

このことは、自分自身の人生としても言えることで、未来のあり方から現在の思考をもう一度見直すということが、とても重要な課題となっている。

ちょっと回りくどい話になってしまったが、おそらくは写真をとる人全部に共通してその思考があり、写真作品というものの定着に大きな役割と果たしているはずだ。なぜならそれこそ、写真がただの記録から、未来に繋がる意思に変換される所以だからだ。

ドラえもん、君のいた未来はそんな世界だった?そこには写真というものは存在した?

その答えを是非とも聞いてみたい。

 

iphoneで一枚。光が綺麗だった。

 

 

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