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2017.08.15 Tuesday

写真という呪縛と未来の記憶

 

さて、昨日のブログの続きから入るが、自分の描く未来をそうやって改めて書いてみれば、それは今の自分の生活と真逆だ。

情報に振り回されて物欲も一層強くなり、過去のネガは全く整理できず溜まる一方。洋服だって新しいものを買うときは古いものを処分と思っているのに、いざそれもできなくて服がしまえない。クルマも次から次へと欲しいものが出てくる。新しいエコカーならともかくも、昔乗りたかったエコとは全く縁のない旧いクルマやバイク。本当に際限のない自分に嫌気が差す。

先日、事務所を整理しようと一念発起して古いネガを引っ張り出した。もう今更プリントして欲しいとクライアントも言ってこないだろうと思われるものは、思い切って処分しようとした。でも、ネガを再び光に透かして見ているとどうしても当時の大変だった思いが蘇ってきて、ハサミを入れてゴミ袋に投げ入れることができなかった。第一に、ネガとは写真家にとってもっとも大切なものという刷り込みに逆らうことはできなかった。機材もようやく半分に減らしたけど、まだ使わないデジタルものがある。

もしも今、何らかのアクシデントでぼくが死んだとしたら、息子たちはえらい目に会いそうである。

バイクやクルマは売ればいいが、問題はこのネガや作品だろう。捨ててもいいものかどうかをいちいち代理店やクライアントに確かめる術もない。作品は何の価値もなし!と決めつけられても、そこには父がこだわった「意思」のようなものが、息子たちを困らせるだろう。

だから、いっそのこと生きてるうちに何とかその全てを捨てたいと最近考えるのである。

よし!!!

今までのデジタルデーターとネガ、それらは自然災害で消滅したという場合を想定、全て破棄してしまう。カメラはもう修復できない故障ということで、中古カメラ市に出してしまう。

そうやって、一度大きく写真に関するほとんどをリセットしてしまったらどうだろうか。そういうことだってあり得るわけだから。

写真に写ったものは全てが過去だ。未来が写っている写真なんてものはない。過去とはもう取り戻せないもの、もうこの世にはないもの。写真はこの瞬間を過去にしていく道具である。そう考えると、いつだってリセットすることができるし、第一、写真そのものが毎回シャッターを切るたびにその瞬間を過去へと変換しているのである。だから写真はいつも切ないし、悲しい。

カメラは記録するという装置であるけど、それは度々「記憶の道具」として使われる。でもカメラは記録しているだけだ。人が瞬間に「記憶という意識形態」に記録を置き換えているだけ。それが写真となる。そして未来において写真は再びそれにアプローチしてくるだけだ。

そのように考えると、写真にとってもバックキャストという考え方は本当に大切だと思う。なぜなら、写真の過去という全ての呪縛から解放される唯一の方法論だから。未来の記憶を自らが生み出すという行為、それはこれから撮影していく自分の写真作品にとって大きなヒントになりそうである。

次回は、未来の記憶を生み出すということについて。

 

鶏が先か卵が先か。SONY α ズミルックス50mm

 

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