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2017.08.12 Saturday

気持ちの無駄遣い

 

目黒での夕方、家の屋上で涼みがてら黒ラベルを一缶。全部は飲めないけど、この時間が好きだ。

しずかにゆっくりと動く雲とその合間に見え隠れする太陽に別れを告げながら、時間を堪能する。

時間は、気持ちの持ちようで濃くも薄くもなる。夕方のその時間はぼくには濃くも薄くもなく、光とシンクロした心地の良い濃度だ。

そんな時によく考えることがある。

日常は様々な情報が押し寄せて来て、それに対して様々な感情が生まれる。

世界の緊張関係、国会議員の不祥事、タレントの不倫、殺人事件、などなどどうでも良いといえばそれまでだけど、やはりいちいち心が反応する。ましてそこに個人的な人間関係や仕事のストレスも加わる。

寂しい、悲しい、不安だ、切ない、、、、、もちろんネガなことばかりではない。

フェースブックなどで友人の喜びを知ったり、トピックを読んだりすればそこにも感情が沸き立つ。嬉しい、暖かい、楽しい、、、

でも時間に終われる日々、そんな様々にやってくる気持ちや感情は、しっかりと見つめたり考えたりすることもなく湧いては消えゆく。

感情や気持ちというものは、それなりにエネルギーを消費するものだ。何故ならば、カラダというフィジカルを支配しているから。

そして感情の起伏は絶えず顔にも表れる。

ぼくがそのように未消化に消費する感情の数とはどのくらいあるのだろう?

ならば、消費されない気持ちや感情というものはあるのだろうか?また消費しない方法は?

確かにそれはある。時間をかけて気持ちや感情を見つめ直すこと。

そして、大切な家族や友人と同じ空気を吸って同じ風景を見たとき、同じアートを見たとき、その時の感情はたとえ違ったそれだとしても、カラダからふわっとした気持ちの塊になって出てゆき、中空で共有することができる。

気持ちって、共有された時に初めて心に響くし、言葉にもなる。

普段の生活でいつも気持ちを共有することができたら、または丁寧にしっかりと考えることができたら。それはとても素晴らしい時間になり、穏やかな空気に満たされる。

でも情けないことに、日常はほとんど気持ちの無駄遣いだ。

もし写真に感情というものを写し込められたら、たとえ一人っきりで撮った写真でも、しっかりと伝わる「気持ちのある写真」になる。

よくよく考えれば、写真を始めた一番の魅力とはそこかもしれない。

コンセプト、ストーリー、ドキュメント。写真アートにとって必要なそのようなことを捨て去り、ただただ自分の時間や空間を丁寧に写真に撮って、静かに見てもらうこと。それができたらアートなんて言葉はいらない。

気持ちは丁寧に整えて、その都度忘れずに静かに心の中に置く。無駄遣いすることなく。その訓練をしなくてはと思う。

 

iphoneにて

 

 

 

 

 

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