ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 台風一過 | main | 気持ちの無駄遣い >>
2017.08.11 Friday

名機とは

 

昨年のニューヨーク滞在にいつも持ち歩いたカメラはLEICA MPというレンジファインダーのデジタルカメラだった。

30代はじめ、写真を始めてまだ日も浅かった頃に、それこそ清水の舞台からという気持ちで購入したのがライカのM3だ。

そして、少しは写真の収入が増えて来た頃に手に入れたのがハッセルブラッドである。この選択は今考えれば全くのカメラ小僧だと少々気恥ずかしいけれども、これさえあればもう機材の心配はないという覚悟だった。

M3には35、50、90の三本のレンズ。ハッセルには50、80、120、150の四本。

その後、アベドンに感化されて8x10を購入。それからの仕事は度々この大判カメラでこなしていた。今思えば、毎回50枚以上のフィルムと馬鹿高いポラロイドを数箱は使っていたことが夢のようだ。

カメラというのもにはいい画質の写真を撮るということの他に、所有する喜びというものがある。時計のように精密な工業製品としての魅力である。

当時の国産カメラも今見ると本当に魅力に溢れた製品を出していた。特に印象に残っているのはニコンのF2とF3のモータードライブだ。ごついシルバーのフォトニックファインダー、F3の精密な駆動を感じさせるモードラの音。それだけで、何倍も写真が上手くなったような気がしたものである。

キヤノンのF1も然りで、ガッチリした真っ黒のボディーはいかにもプロ用機材の風格を持っていた。

そう、プロ機材という響きに酔いしれたのである。それまでの国産のカメラはどちらかと言えばハイアマチュア的なものが多かったが、この時代から海外の製品も駆逐する勢いでプロ機材としての性能を持ち始めたのである。

ぼくも40代半ばに差し掛かり、仕事も波に乗って来た時代、増えた収入に任せてほぼ全メーカーのカメラを使った。ミノルタ、ペンタックス、ニコン、キヤノン、フジ、マキナ、オリンパス。恵まれた時代だった。(この頃になると、メインの8X10だけではなく、ミノックスでB0のポスターを撮ることもあった。)あらゆる可能性をカメラ自体にも求めたのである。

今思い返せば、あの頃のカメラは全てが名機だったように思う。

広告写真も様々なカメラマンの競合に盛り上がっていた。

その頃から、突然にデジタルカメラの流れが始まったのである。

ぼくはいち早くデジタルカメラを取り入れた。そして、それまでのフィルムカメラを少しずつ処分し、最後はライカのハッセルと8X10に戻ったのである。今は仕事で使うことはないが、特にライカのフィルムボディーは一生持っていることだろう。

それは、名機だから?

もちろん名機だということに異論唱える人はそういないだろう。だけども、ぼくにとってはそれだけではない。そこに染み込んだ写真への想いが愛おしいのである。

カメラは楽器とは違って、その存在だけで何千万という金額になるようなものではない。工業製品だからだ。

当時ライカであってもせいぜい200万もあればフルシステムで揃えることができた。

ただぼくにとってのライカM3にはお金には変えられない別の価値がある。あの頃の写真に対する思いと、なんとか成功してこれで生計を立てたいという気持ち。誰にも負けたくないという勢い。

ニューヨークで使ったライカはデジタルだ。でもそこにはたとえデジタルであっても、あのM3に染み込んだ自分の気持ちを感じながらシャッターを切ることがとっても心地よいのである。いつまでも写真への初心を忘れることがないようにと。

使う人の気持ちを持ち続けてくれるカメラ、それがぼくにとっての名機である。

 

LEICA MP 50mm

 

 

コメント
コメントする