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2017.08.02 Wednesday

115アンチトーンカーブ

 

デジタルがほとんどの昨今、少し深く写真を楽しんでいる人はフォトショップを使っていると思う。

ぼくがデジタル写真を始めて、最初にMacを購入したのはかなり昔。

マシンは7600、フォトショップは確かバージョン4.5だったと記憶している。

まだ、ネットもADSLが始まったばかりで、今のようにデーターをネットで送ることなど考えられもしなかった。

だけどその頃から、NIKONの1DXという600万が画素のデジタル一眼を使って広告の写真を撮影していた。

その時にトーンカーブというレイヤーを被せることで、様々なトーンを再現できるということを学んだ。

それ以来、トーンカーブというものを全く意識しないで当たり前のように使っている。

だが最近、そのトーンカーブを使うことに抵抗を感じている。それは広告のための作られた写真や映像でのことではなく、

自分自身が日頃撮っているプライベート写真に於いてだ。

ぼくはどんなカメラでもほぼ設定はマニュアルだ。しかし、ホワイトバランスはオート、画質トーンはノーマルと決めている。

その条件でファインダー内の露出メーターを頼りに撮影している。

その日の夜遅くにパソコンでそれらの写真を開くと、少し暗かったり、少し青かったりするから、気に入ったカットをRAWからTIFに展開して、その調整をする。

しかし、そうやって調整したカットは、確かに綺麗にはなるが、力を失ったような腰のない写真になっている場合が多い。

昨日アップしたブログの「空の色」の話だが、こんな感覚はトーンカーブを乗せた時点で完全に消滅する。

なぜだろう。

フィルム時代は、撮影して現像すればそれがそのまま作品の色だった。トーンだった。

そこにヒントがある。

デジタルで撮影した画像はRAWで撮ればそれは「完全」に近くするための安全データーでしかない。

作家としての腹のくくりようがないのである。

記憶のイメージに従ってトーンカーブで!などとカッコつけたことを言ってきたけども、時折、カメラの設定そのままのJPEG写真にハッとさせられることがある。

そこには作家の予想を裏切る何かがあるからだろう。良くも悪くもだが。

 

写真とは自分から能動的に望むものだろうか?それだけではないだろう。むしろ受動的に受け入れてしまう覚悟も必要なのではないか。それをそれとして「よし」とする力は必要ないのだろうか。

さて、みなさんのご意見を伺いたい。

 

感情の揺らめきや気持ちを子供のように見つめて、それを写真に重ねた時、そこにトーンカーブを乗せようものなら、

それはとっても陳腐な写真に堕落するような気がするのである。我が美意識など安易に信用しようものならお終いだ。

 

SIGMA dp2Q jpeg

 

 

コメント
友人の出版編集者はM8.2とM10を使って仕事の写真も撮っていますが、いつもLeicaの創ったトーンが好きだからとJPEGです。
  • Norihiko Suzuki
  • 2017.08.02 Wednesday 11:40
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