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2017.04.10 Monday

日々の記憶98

 

今日は写真芸術における、技術的な一面に関して話をしたい。あくまでも本質的な写真芸術論ではないことをお断りしておく。

まあ、現代人の僕には察することしかできないが、150年前に写真がかなり世界に知れ渡った時代、その描写性に画家たちはこぞって驚き、そして危機感を感じたそうだ。それはそうだろう。時間をかけて丁寧に描き込んだ絵画のような世界がほんの少しの時間で出来上がってしまうのだから。そして、その後はそれが何枚でも作れてしまう技術に発展した。その時に、絵画のたった一点だけということが「芸術としての優位性」として認められたのだろう。写真の再生産性は、アートとしてはある意味弱点として取られることになった。技術の進歩は絶えず芸術性と相反する。

写真はそれでもその芸術性の高さからオリジナルプリントという概念を獲得し、作家はエディションをつける。版画などと同じ考えで、限定という価値に、それを置き換えた。しかし、アナログの時代では、そのオリジナルプリントも手焼きにこだわる作家では同じものを焼くことはかなり困難であったが、それでも自動現像機を使えば同じ状態のプリントを複数作ることは容易い。

そして、現代。デジタルの時代だ。

先日4X5のフィルムで撮影をして現像に出したが、現像とべた焼きをお願いしたら1週間欲しいといわれ、愕然とした。

おそらく、フィルムが完全になくなてしまうことはないだろうが、デジタル写真はこの先も進歩を続け、一層写真の芸術性にケチをつける口実を自ら生み出すだろう。

僕はそれに対して、不満を持つものではない。作家とはその人の価値観を貫けばいいのであって、時代の様々な状況に迎合する必要性など微塵もないと思っている。

しかし、僕は自分のデジタル撮影による写真作品に関してあることをしようと考え始めている。

それは、トーンカーブを捨てることだ。またレイヤーもだ。エディションはつけるべきだと思う。しかしその数は限定しない。ゆえにエディションというよりはナンバリングだろうか。オリジナルとしても作品をデジタルで仕上げる時に積み上げたトーンカーブなどはそのプリントが終われば、破棄する。もし、誰かがそのプリントをオーダーしてく下さったなら、それに極力近く画像調整をしてプリントし、サインとナンバーを記する。僕のハードディスクには、絶えずRAW DATAしか保存されないのである。

それによって、プリントにオンリーワンの価値を与えることができると考えたのです。

もちろんこれは、作家としての僕のスタイルを信じてもらうことしかなく、技術的な可能性を絶対に否定することはできない。

些細な抵抗だろうか。みなさんのご意見を伺いたい。

 

sigma dp1Q h 50mm

 

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