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2015.08.17 Monday

日々の記憶45


昨日、素敵な本を手にいれた。原宿の表参道にずっと昔からあった珈琲店「大坊珈琲」のご主人大坊勝次さんの書かれた「大坊珈琲店」とその珈琲マニュアルの英訳本である。お店を開かれた時のこと、珈琲の焙煎、落とし方、そして佇まい。このお店が閉店するまで愛してやまなかった35人の方の寄稿文で構成されている。まったくその文体はそのままあの大坊珈琲のそのもので、大坊さんのお人柄が滲んでいる。またどこかにお店を作って欲しいものである。
その文中に僕にとって忘れることのできないある珈琲店の話が出てきたので、その思い出を書いておこうと思う。

学芸大学駅の商店街を少し目黒通り方面に歩いた路地にひっそりとその珈琲店はあった。アンクルBUBUという名の自家焙煎珈琲店だ。カウンターに6人、二人がけのテーブルが二つ。いつも同じアルバムのビルエバンスとジムホールのデュエットが、聞こえるギリギリの音量で流れている。そのアルバムは、ぼくがある時マスターである臼井さんに進呈したものだ。
いつものようにカウンターに座ると、「おー」と小さな声と静かな笑顔。
「ストロングにするか、今日はソフトもいい」」
ソフトとストロング、この二種類のブレンドとストレートが数種類。棚のガラス瓶に豆が光っている。
ぼくはストロングブレンドのファンだった。週に2度から3度通った。
初めてこの店の珈琲を飲んだ時は、脳天をチョップされたような衝撃だった。本当に言葉にならない優しい甘みとコク。
臼井さんは、きっちりと温度計で計った78度のお湯でゆっくりとドリップしていた。もちろんネルドリップで。
この人は何もの?静かでほとんど話をしない。なのにどこか人懐っこくてオーラもある。
彼は僕が通い始めて1年ぐらい経つと、時々自分の事を話してくれるようになった。
「君は映像も撮るのか」
「はい、少しだけど広告を」
「そうか、僕は映画を回していた」
彼は映画のカメラマンだったらしい。いつからどのような理由で珈琲焙煎家になったのかは結局聞く事ができなかったが。
臼井さんについてぼくが知ってた事は、4人のお子さんがいらっしゃること。愛車はいつも調子が悪い水色の古いボルボ。どこか内臓を患っていてそれはあまりよくないということ。
時々気分が乗ると、珈琲の美味しい淹れ方を教えてくれた。焙煎の事も少しは教わった。
ぼくは、その後時間のある時はほとんどこの店にいるようになった。本を読んだり、スケッチを書いたり、人を誘って珈琲の話をした。

学芸大学から藤沢に自宅を移した時から、しばらくBUBUに寄る事がなかった。仕事も殺人的に忙しくなり、ぼくは自分の最も忙しい人生を駆け抜けることに必死だった。
でもいつも頭の片隅にあるBUBU
しかし、なぜか店に行く事はなかった。なんだか全てを変えたかったタイミングだったのかもしれない。仕事に100%のエネルギーを割り当てていた。

あっという間に3年がすぎた。ぼくは何かのきっかけであの珈琲を飲みたくなり、たまたま空いた平日に学芸大学に向かった。わくわくしながら商店街を抜けて路地に入る。だがそこにアンクルBUBUはなかった。
張り紙。
ご主人の臼井さんは亡くなっていた。
なんでこんなに長く来なかったのだろう。臼井さんの体調のことも少しは感じていたというのに。
本当に悔しさがこみ上げてきた。悔しさと申し訳なささ。そして、あの珈琲の香り。
ぼくはあの香りと甘みにもう一度巡り合いたかった。でももう遅い。
それから数年、僕は自分で珈琲を焙煎し始めた。だが未だにあの深みと甘みにはたどり着く事はできないでいる。

ある日、大坊珈琲店で焙煎の本を読みながら大坊さんの珈琲を飲んでいた時、それに気づかれたのかぼくに話かけてくださった。
「珈琲の焙煎をしているのですか」
ぼくは「はい」と答えた。
「まだど素人ですが、勉強しています。」その時になぜ焙煎を始めたかという理由と、アンクルBUBUの話をした。
大坊さんは静かに「すごく美味しい珈琲でした」と言われたのを覚えている。
そのアンクルBUBUの珈琲の事が少しだけこの本に書かれている。ぼくは自分の事のように嬉しかった。
ぼくは未だに、あの珈琲の味を目指して焙煎をしている。ドリップの温度も正直に78度を温度計で計っている。
そして飲むたびに、あの静かなカウンターとビルエバンス、臼井さんの優しい顔を思い出す。
珈琲は不思議で深い。あらためて臼井さんのご冥福を祈って。

「大坊珈琲店」より
よく伺っていた珈琲店「アンクルブブ」さんでは、そのつど温度計でお湯の温度を確認して淹れていました。八十度より低かったはずです。六、七人も入ればいっぱいの小さな店で、あくせくしない雰囲気のご主人がいい味を出していて、友達になりたいなあと思いながら見ていました。

LEICA MP 90MACRO 
 
コメント
初めまして。
30年程前、目黒通りのNTT裏に住んでいた頃
商店街の筋に小さな喫茶店が出来ました。
気付いたのは、12月の暮れも押し迫った頃。
付き合って間もない頃のかみさんと
入ってみようとドアを開けてからの短くて長い日々。
豆の仕入れも模索中で、
フレンチの味が一定せず
何度も何度も捨てていた頃を思い出します。
納得の味が出来ると、ニヤニヤしながら
飲んでみる?頼んでも無いのに出してくれました。
そりゃ、もう、至高の一杯です。
その後、ニューヨークに移り住んだのですが
突然見知らぬ人から電話があり
あの〜、ブブから豆頼まれまして…
と、旅行者に豆を運ばせて来たのでした。
そんな臼井さんでした。
あの頃を思い出すたびに涙が止まりません。
肺気腫でタバコを止めろと言われてましたが…
亡くなった事を知ったのはだいぶ時間経ってからでした。

素敵なブログ、ありがとうございました。
  • 山下
  • 2017.03.12 Sunday 16:44
コメントありがとうございます。本当に残念です。
  • mikio hasui
  • 2017.04.04 Tuesday 08:39
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