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2012.07.17 Tuesday

いじめ

 

このところ、FBでも様々なジャンルの方のブログでも、いじめについての記事が多い。
中学生がいじめの末に自殺に追い込まれるという悲惨な事件があったばかりだし、ほかにも多くの類似した事件が起こっているから無理も無い。
このいじめという問題、ここ数年事件があるたびに考えさせられる。
以前は単にいじめるという行為だけだったのが、死に至るというケースが増え、ついには自殺にまで至っているという事実、こんなことが許されるはずが無い。
多くの方々は、警察や学校がどうしてそこまで放置していたかとか、いじめの加害者の親はどういう対処だったかとか、どういう理由があろうとも自殺するということを肯定してはいけないとか、いろんな視点から問題を掘り起こしているが、私は、それをどれもその通りだと思いつつも、一つ大きな視点が見えてこないと思っている。

わたしは、いまの戦後教育が大きな間違いだと思っている。
それは、戦後入ってきた西洋のそれなのかどうなのか分からないが、少なくとも、大きな経済成長を進めるための戦士育成教育、そしてそのための学歴社会の達成だろう。
すべては、比較される比較教育だ。正解はなんでも一つであり、そしてそれにより早くたどり着いたものが優秀とされる教育。
子供たちはその構造の中で、絶えず比較される。
もちろんそうやって切磋琢磨される分野もあるだろう。でも、バランスよく情操教育として美術や音楽、スポーツ、グループ活動があってのことだ。

パリに行ったときのことだ。いつも立ち寄る美術館であるポンピドーセンターに行くと、その日は家族連れも混ざる長蛇の列が出来ていた。展示はいくつか開催されていたが、わたしが見たかったのは、「フランスのシュールレアリストたちの写真展」だった。
その会場の入り口を探すと、まさか!あの長蛇の列がその会場に続いていたのである。
シュールレアリストの写真展である。そこに小学生の子供をつれた家族がいる、カップルがいる。列を作っているのである。並ぶこと一時間、会場に入ればそんな家族も興味深く作品を鑑賞している。
はたして、フランスが美術教育にどれほど熱心かは、住んだことも無いわたしには分からないが、おそらくこの国ではあり得ないことであることは確かだ。
そんなフランスに、今の日本のような悲惨な自殺にまで発展してしまうような多くのいじめ事件があるのだろうか。いや聞く限りでは、そんなひどい例はそうあるものではない。

芸術は、その人の価値観で楽しむものであり、数字やデーターに換算することは出来ない。だから評価しにくい。故に学校教育としては難しいから、歴史的な事実を暗唱することだけしようということになる。そんなのは芸術教育ではないだろう。
しかし、美術にしろ音楽にしろ、表現するということの楽しさと手で何かを生み出すことの喜びは、美という意識とともに心というものの存在や大切さを教えてくれる。ましてグループで一つのものを作り上げたり、合奏や合唱で誰もの心が一つになることの感動を体験することは、人と人がお互いを認め合って共存することの素晴らしさを身につけることが出来る。

わたしは時々写真のワークショップを子供たちに開くが、そのときに一人一人の作品を丁寧に見て、その子のいいところを真剣にほめる。
するとどんな子供も目をきらきらさせてくる。自分が認められることの誇らしさを感じるからだ。そして同じように友達の作品もいいところを見つけてほめてみようと教える。
子供たちは友達のことをほめようと、真剣に自分なりの見方で写真を見て意見をいう。
もちろんほめられた友達もうれしくなり、それは連鎖してゆく。
そういうことが芸術にはできるのである。それは人の成長に欠かすことが出来ない栄養だ。

いじめがある。警察や学校が問題になる。加害者の親が問題になる。ある人はそれでも自殺する本人が悪いといい、ある人は死に追いやった加害者こそ犯罪だという。
どれも否定は出来ない。それほどいじめの問題の後ろにはおおきな課題があるからだ。
しかし、わたしは、今の教育と社会全体の価値の創出にこそ問題があり、その歪みがいじめを加速させているのだと思う。
そして、その問題の根本は心の教育を忘れているということだ。

写真や絵画、音楽、文学、詩、歌。いま一番大切なことは、比較できないことに本質的な価値があるということを子供たちに教えて、誰にでも生きる権利と素晴らしさが等しくあるんだということを理解させることだと思う。
どんな命も尊くて平等だということを授業や家庭で何万回口にしても、それを本当に理解させることは難しい。でも、合唱や合奏、写真や絵画で自然に人の素晴らしさを学ばせることは、たったの一度もそのことを口にしなくとも理解させることが出来る。それは本当である。スポーツも然りである。

国が本当に豊かであるかどうか、それがいま問われているのではないだろうか。文化国家というならば、ほんとうの文化が根ざしていなくてはいけない。
それが、今の私たちの国には無いのではないだろうか。
閑散とした美術館。テレビではお笑い芸人が裸同然で出てきて、いじめのようにそれを笑う。でも学校に行けば、いじめはだめだとただただ言われる子供たち。
都会では、大人ひとり一人のモラルの低下、マナーの欠如、笑顔がない、会話が無い。
大人の幼稚化。そんなことも子供たちはしっかりと見ている。
まさに子供たちが犠牲になっていると感じるのである。

路上で。SIGMA DP2 Merrill 30mm



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