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2012.02.23 Thursday

アンクルBUBUの思い出

 

学芸大学の商店街を目黒通りの方角に二つブロックを歩いた細い路地に面して、アンクルBUBUはあった。
ガラス張りの、といってもそうモダンなものではなく、ちいさな白く塗られた扉を手前に引いて中に入ると、いつもタバコを短くくわえた物静かなマスターが、「おー、」といつも同じ調子で挨拶をしてくれる。
自家焙煎の珈琲を淹れるカフェと喫茶店の中間みたいな店。
小さな二人掛けのテーブルが二つとカウンターに6席。だが、私の訪れる時間が暇なのか、いつも誰もいないか常連の客が一人か二人、カウンターの隅っこに座っている。
カウンターに座ると少しの沈黙の後に、「ソフトか?」とマスターが聞いてくる。「ストロング」と言うと、「めずらしいなあ」と静かにややにやりとしながら頷くのが常だった。
店の壁には安い作りのスピーカーが掛かっていて、珈琲を煎る時の煙でコーン紙が抹茶色になっている。そして、お客さんにもらったというイラストの額が二つ、そのスピーカーに寄り添うように飾ってある。そしてそのスピーカーからは微かな音量でビルエバンスのアンダーカレントが繰り返し流れていた。

臼田さん、マスターだが年齢は判らない。おそらく当時の私よりも三歳くらい年上だったかもしれない。このマスターの珈琲の味は、柔らかくて甘くてとろりとしている。
私は、この珈琲の味に感動して、週に三度ほどこの店に通った。
ソフトブレンドは優しくて緩やかな風の様な珈琲。ストロングはやや苦くて甘みのある不思議なコクを持った珈琲だ。その他にはストレートが何種類かあり、たまに「今日はガテマラがうまいぞ。」と、ぼそりと勧めてくれることもある。

火曜日と金曜日の夕方に行くと商店街の通りからすでに珈琲を焙煎するいい香りが漂っている。
BUBUの斜向いには
学大珈琲という喫茶店があった。
「うちでマメを煎っていると、向こうの店に客が増えるんだよなあ。」マスターは必ずそう言った。

私はいつの間にか常連客となり、口数が極端に少ないマスターも、少しずつだが、自分のことを話してくれる事が多くなった。
昔は映画のカメラマンだったこと。旧いボルボのステーションワゴンに乗っていること。そのクルマがいつも肝心な時に機嫌を悪くすること。
子供が3人もいるのに、この年でまた一人生まれてしまったと苦笑いをしながら話してくれたこと。いつも体調が悪く、どうも肝臓がダメらしいということ。
そして、その合間に珈琲の煎り方のコツや、美味しいドリップの仕方、落とす温度のこと、マメのブレンドのことなどをよく教えてもらった。いま思えばよく教えてくれたものだと思う。

私はBUBUに5年位通っただろうか。
その後、五本木に住んでいた私は藤沢に越した。そして仕事が忙しくなり、BUBUでぽかんとした時間をしたためることも少なくなっていった。
それでもよくBUBUの珈琲が飲みたいなあと思ったものだ。その味はどうしても突然に記憶の中にやってくる美味しさだった。

数年前のある日、何度か一緒にBUBUに行った友人から、マスターが病気で亡くなったことを聞かされた。おそらく肝臓だろうと思った。
学大の商店街を歩いてBUBUに行ってみると、ガラス張りのドアには小さな閉店のお知らせが貼ってあった。蒸気機関車のようなカタチの銅色の焙煎機はすでにそこにはなかった。
なんだかそんなはずはないと実感の湧かないままに立ち去ったのを覚えている。

あれから数年たって、今でもあの珈琲の味をしっかりと私は覚えている。
そして、突然に自分で珈琲を焙煎して飲みたくなった。
先日、新宿にあるジャズ喫茶DUGに行った帰りに近くの専門店で、簡単な珈琲を焙煎する道具と生マメを買った。
翌日、事務所で仕事の合間にガスコンロで煎って、マスターに教わったようにネルドリップで珈琲を落とした。
あの味にはとてもほど遠いが、ほんのりと甘い柔らかな珈琲があった。

人はある日突然にいなくなる。なんの予告もなく。その人が残したものと面影だけがあって、人は消え去る。だから、そのときには亡くなった人の存在がまだほのかに心の中にあり、実感として寂しさや悔しさには置き換わらない。
しかし、何年かの時間を経てこうやって珈琲を飲めば、はじめてマスターが消えてしまったときの寂しさが沁み沁みと湧いてくる。臼田さんはやはり珈琲に人をしみ込ませていたのだろう。故に私に珈琲を透過していまさらに、こんな気持ちをつたえてくる。
人はいつも、人が消えてしまった寂しさと共にあり、生きることのへの想いを募らせていることを忘れてはならないと思う。


ライカM9、ズミルクス50ミリ




 
コメント
[アンクルBUBU]は、僕も知っています。
あの界隈の友人から[アンクルBUBU]の事を聞き、お店の前までは行きましたが何となく入りにくかったのでお店の中には入らなかったのです。
その[アンクルBUBU]を教えてくれたその友人も今から5年程前に亡くなりました。
鷹番商店街では、べらんめえ調の「宝飾屋」(彫金職人)として有名でした。
友人の中でも特に彼は大事な大事な愛すべき友人でした。
それは、思い出せば思い出すほど大切な友人だった事に気づかされます。

>生きることのへの想いを募らせていることを忘れてはならないと思う。
おっしゃる通りです!
  • BT16A
  • 2012.02.23 Thursday 20:39
BT16Aさん、そうですか。確かに入り難い店でしたよね。でも優しい方でした。だんだんあのような喫茶店が減りましたね。
  • mikio hasui
  • 2012.02.23 Thursday 23:12
こんばんは。
横浜で紅茶教室をしているaikoと申します。
紅茶会社に勤務中、仕事柄こだわりの紅茶を扱っている焙煎やさんから、ぶぶおじさんのお店のことをきき、ぶぶさんのコーヒーを知りました。
女子ひとりで美味しさをじっくり味わうこと数回〜おじさんが、営業?紅茶はいらないよ、といって名刺をくれて、その気はないです、美味しくて通ってます、というと、うまいね。とニヤニヤしてました。
懐かしい空間が脳裏に浮かんで、思わずコメントしてしまいました。
この記事を永久保存したいな〜と思いました。
  • aiko
  • 2015.11.27 Friday 18:21
aikoさん、コメントありがとうございます。今はブブには及びませんが、自家焙煎であの味を追い求めています。
  • mikio hasui
  • 2015.12.04 Friday 15:34
不意に思い出して調べて看たら、、このページに出会いました。
懐かしい。
ほんとうに、美味しいコーヒーでした。
  • ぴんくのふくろう
  • 2016.03.17 Thursday 00:25
ぴんくのふくろうさん、コメントありがとうございます。美味しいコーヒーでした。
  • mikio hasui
  • 2016.03.24 Thursday 16:11
はじめまして。yamashitaと申します。
偶にBUBUの事思い出し、検索してhasuiさんの記事を読ませ頂きました。
マスターは「肺気腫」でしたので、そちらで亡くなられたと思ってました。
私が通い始めたのは開店して間もない頃で、
学大に住んでいてある日商店街で偶然見つけフラフラと入ってしまい、
それからほぼ毎日飲みに行ってましたかねえ。。
その頃は、まだまだフレンチに試行錯誤されてる様子で
仕入れる豆を変えたりして、焙煎したてのフレンチをよく試飲させてくれ
生意気な言い方かもしれませんが、偶に物凄く美味しい時があり
そんな時は、本当にうれしそうに「飲んでみる?」ってついでくれたんです。
3年程してニューヨークに引っ越した後、2、3人、マスターに豆頼まれたと言って私のアパートへ豆を届けに来られた方もいました。
帰国してからも、住まいが遠くなり毎日通う訳にもいきませんでしたが
仕事の合間を見て豆を買いに良く行ったものです。
hasさんの記事を懐かしく読みながら、いろんな思い出がよぎっていきました。
ありがとうございます。
  • yamashita
  • 2016.05.21 Saturday 19:54
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