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2011.11.16 Wednesday

美しい風景に必要なもの。

 

今日は新潟から柏崎まで、ひたすらに海沿いを走った。
いま撮影している日本の水平線「PEACE-LAND4」の撮影のためである。日本海側は夕方になればやや逆光の海になるが、ほとんどの時間帯は順光の海だ。
順光の海は撮影がむずかしい。波は白くコントラストがつくが、立体感が得られないから、そのテクスチャーが今ひとつもの足りなくなる。
しかし、その海の見え方も北側の海の特徴ならばそれはそれで、今日も数ロール撮影して来た。
ところで、日本海側の海沿いは本当に寂しい。海水浴のシーズンではないから仕方ないのだが、それにしても、何年も開いていない海の家や、朽ちた看板、捨てられたクルマ。街道沿いの家々はひっそりと静まり返り、人の気配がない。
店もほとんどがシャッターを固く閉ざしている。
私は、数年前までJALのAGORAというカード誌の表紙を連載していて、様々な国をクルマで廻っていた。私は海沿いが好きなので、その時も必ず首都からかなり外れた海沿いの道を走った。
北欧の国々をめぐった時の記憶である。
田舎に行けば行くほど、海沿いの風景は豊かなものになる。街道沿いの小さな街は、それぞれの家がきちんと手入れされていて、たまに小さなレストランやカフェがある。花屋があったり、可愛いい家具屋さんやアンティークショップもある。そんなに賑わっている訳ではないけど、小さいなりに地域のなかできちんと営業できているのである。
もちろん、福祉が充実しているという事もあるだろうけど、それだけではない気がしたものだ。それは、生活の「幸せの基準」が違う様に思えてならない。
いまの日本は生活の幸せの基準が、あまりにも経済優先になり過ぎてはいないだろうか。
若い人が都会に出て行くのはどこの国でも同じである。でも、いまの日本のように裏寂れている事はあまり無い。海外でも無い訳ではないが、それはかなり特殊な地域だったりする。
人々の娯楽も、昔の様に海水浴に行くとか、山にピクニックに行くとか、そういうささやかな楽しみを持たなくなっている気がするのだ。
アウトドア流行とはいうが、日本の美しい自然の中で過ごすということを昔に比べてあまりしなくなっている様に思う。いや、僕の偏見かもしれないが、それにしても、その風景の寂しさは尋常ではない。
考え過ぎかもしれない。ただ、これからはもっともっとこの国の美しい自然や風景資産を大切にして、その中でゆったりと暮らせる仕組みを作って行かなくては、ほんとうに終ってしまいそうな気がする。
自然の中に小さくても豊かな暮らしの家があり、地域がそこでしっかりと成り立つ事。仕事があり、生活が出来ること。それが出来ないものだろうか。一次産業は衰退し、小型商業も成り立たなくなっている現代。
いくら美しい風景や光があろうとも、そこに美しく暮らす人がいなくては何の価値もない。
この先、日本はどこに向かうのだろうかと、高校生のように考え込んで走った新潟だった。

朝の光。ライカM9、ズミクロン35ミリ。
 
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