写真的であるという事 |
23:06 |

今日、早朝ロケの帰りに時間があったのでヨドバシカメラに立ち寄った。もちろん印画紙の買い出しのためである。ほんの数年前まで新宿の西口本店の暗室用品売り場は本格的で、おそらく無いものはないという品揃えだった。印画紙も国内外の大手のものはほとんど手に入れる事が出来たし、コダックの専門的な薬剤も置いていた。その売り場も今は見る影もなく縮小されて印画紙の棚もどんどん小さくなっている。ヨドバシカメラは聞くところによると社長さんが本格的な写真マニアで、暗室用品に関しては絶対になくさないという方針だそうだ。その為に今でもなんとか印画紙などのストックを保っていられるのだと。それでも仕入れ先のメーカーが製造をやめてしまってはどうしようもない。毎回この売り場を訪ねるたびに寂しい思いに駆られる。
フィルムと印画紙、そして薬品。これがなくてはアナログ写真は成立しない。以前このブログにも書いた、「写真は工芸である。」という意味においては、それもなかなか侭ならぬ世の中になっているという事である。誤解のないように申し上げるなら、写真という芸術は、その映像が人の感情に何をどう感じさせるかという事であるから、その表現がデジタルだろうが、インクジェットであろうが、作家の本意が表れていれば成立するものである。だから写真が工芸になってしまっては、写真ではなくなるという事も言える。だがその表現の力に於いてはフィルムと印画紙はその独特のマテリアルの表現力にまだまだ可能性があると思っている。もちろんこの先どんなに表現の方法や手段が変わっても写真芸術の本質が失われる事はない。ぼくも、いざ感材がまったく手に入らなくなってもその時の表現方法で何かを撮り続けていると思う。しかし今のぼくの本意に素直な表現はアナログによるものだという事である。
しかし最近再びデジタルカメラとインクジェットプリントによる作品作りも始めている。なぜなら写真家が最終的なマテリアルのあり方に支配されるのではなく、まず写真的であるという事に集中していたいという気持ちが強いからである。ライカズミルクス50ミリ、f8。
写真的であるという事